幸福論と働き方
幸せの感じ方は人それぞれである。私が幸福と考えるのは「好きなことをやって生活しているとき」である。
好きなことをやって生活するためには会社や人に縛られずに仕事をしつつ自由な時間を確保できる環境に身を置くことである。
しかしどちらもの満たす企業はほとんどないのが実情である。つまり正社員にならないという生活スタイルが私の描くライフスタイルの正解に近い。
世界でもトップクラスの豊かさと安全が保障される日本の幸福度がトップクラスにならない要因は様々であるが、「日本人は自由の時間が少ない」という理由が一因である。
GDPでもGNPでも世界3位以内に入る事が多い日本には当然沢山のモノとサービスが溢れかえっているが、その中から面白いと思うものを発見する時間とそれに没頭する時間が足りないのではないだろうか?つまり労働時間と余暇時間のバランスが最適化されていないという事である。
経済学者にはアダム=スミスという人がいる。彼は「神の見えざる手」という自由に商売される場合、モノを生産して買い手が多ければ値段は上がるし、買い手が少なければ値段は下がる。つまり政府が価格を決めるのではなく自由に動ける環境を用意しておくことで経済市場は最適化されると言っていた。
アダムスミスの考え方は非常にシンプルであり的を得た考えである。当時頭のよい人が集まって国の経済問題を試行錯誤し値段や法を決定することが主流であった。ただ頭のよい人が集まってあれこれするのにもお金はかかるし、その後の整備もお金はかかる。そんな環境で何もしないことが最適化になると言えるのは物凄いことであったと考える。
需要と供給がある場合には均衡点が存在し神の見えざる手によって時間とともに均衡点に近づく。彼の考えには例外があって、独占事業や国が干渉している場合に本来の均衡点に辿り着かない現象が起きた。すでに完全に自由な社会は構築されなくなっていた。
何かしらのパワー(権力等)が働くと最適化されないのである。
実は経済市場だけではなく、ライフスタイルに関しても需要と供給、均衡点が存在する。
ミルは「最大幸福理論」を提唱した人であるが幸福に関しても勝手に最適化されるということである。
しかし、現在最大幸福化されていないのでミルやアダムスミスの言っていることは嘘だという人もいる。ただ、嘘だという人の中で現労働環境に何かしらのパワーが働いていて最適化されていないだけということまで考える人は少ない。
誰しもが最適化されていないかというとそうではない。民間企業でも公務員でも今の労働時間と余暇時間がベストだと考える人もいるだろう。しかし、ベストだと思っていない人が多数派であるのが現代の日本である。
逆に最適化されやすいのは余裕のある個人事業主ではないかと考える。生きる為の生活費を確保できるのであれば自分の満足度を下げてまで働かないだろう。そもそも個人事業主をしている人は好きな事や得意な事、お金稼ぎが好きだからなどの要因が多い(親の跡を継ぐというのは仕方なく引き継いだならそもそも自由意思がない環境化の為神の見えざる手の範囲外である)
つまり満足度が極端に下がるような働き方はしないので疲れたら休むなどもしやすくなる(業種による)
余った時間で好きなことをやっていけば幸福度は上がります。
働き方は人それぞれなのでどれがベストであるとは言えない。逆に「~の職が一番幸せになれる」とか言いきっちゃうのは信用できない。働き方のヒントは過去から現在までを振り返ってみてどのようなライフスタイルを望んでいるかを頭や体から知ることだと思う。
この物語の主人公って自分自身なので自身の幸福度の最適化を突き詰めるのって大事だと思います。
~あとがき~
この記事を書こうと思ったのは、豪遊好きの女社長との対談のアポイントを頂いたことにあります。イメージは勝間さんと思っておいて頂ければ幸いです。
マッサージ店で機械ではなく4人の人に1時間丁寧にほぐして貰うことと有名ホストを独占することがもっとも幸せなことであるとお話しいただきました。
この時点は私はひくのではなく、そういう人間の心理状態に興味を持ちました。ノーマルな心理よりもアブノーマル、、、つまり特殊な考え方を持つ人の話を聞くのが好きなのです。
女社長とは2度目だったのですが、自身に心酔することと人をコントロールすることに快感を得るタイプなのかと思いました。
富裕層向けの家庭教師として富裕層の家にはお邪魔し一般家庭とは違う内装を人よりも知っています。ただ私の知り合う富裕層は子どもがいる家庭であることと雇う側と雇われる側もあるので今回一人暮らしをしつつお金と時間がある人はどんな思考でどんなことをしているか聞くのもいいなと思いました。
結論は上に書いたような話になります。
時間を多く持つ方が幸せという考えは近いものとなりましたが、女社長との争点となったのが、育成論と誰を幸福にするかでした。育成論は置いておきます。
労働環境のミスマッチは、最適化されると働き手がいないので搾取ができなくなるので
マッサージで4人をつけたり、お気に入りのホストを上位にあげることができなくなったりするので今の現状がベストとの意見でした。
まぁお金持ちの考えからすると最適化されてしまうと格差は小さくなるので豪遊はできなくなるので「確かに」と思う場面もありました。
このあたりは富裕層の家庭教師の立場では話せない領域ですので収穫はありました。
話を戻します。社長との争点となったのは、誰を幸福にするか
私の考えはあくまで物語の主人公の自分を出発点にするのでそこに否定が入ります。
私「生活満足度ですか?私は10段階中10ですね」
社長「他人を幸福にしようという考えがないなら、本当に幸福であるとは言えない。なぜなら本当のお金持ちたちは時間や金、権力を得たのちに慈善活動をする。相手の幸福を考えるようになるから」
言ってることは理解できます。
私「ただ自分自身が幸福になってないのに他人を幸福にしようとするのはおせっかいな気もするんですよね。例えば今私のグラスには半分の水がありますが、溢れるくらいの水があるなら溢れだして水を無駄にするなら人に分け与えてもいいと思います。でもそもそも半分しかないのに多くの人に分け与えると揉める気がするんですよね」
社長「おせっかいとか揉めるってどういうこと?」
私「世の中には多種多様な考えを持つ人がいると私は思うのですが中にはおせっかいな人もいます。例えば半分しか水がない人が私に水をくれました。その後に「あのときお前に水あげたんだから俺が苦しいときは助けろよ!ふざけんな!」というのも世の中にはあります。慈善活動って相手が欲しがっていて見返りなしにやるのは否定しないですが、自分がしてあげたからお前もしろというのは賛同できないです。で、そういう事態が起こるのって今のコップに例えると水があふれ出るほど入っていない人なんですよね」
社長「それはみんながみんなそういう訳じゃないよね?たまたまそういうひとがいるだけでは?」
私「傾向はあると思うんですよね。家庭教師業界でも富裕層だとクレームは少ないのですが、そうでない層のクレームは富裕層より多いみたいです。販売店でもそうですがお金持ちって1000円でモノを買ってそれがそこまで気に入らなくてもまぁいいやとなったりしますがお金の無い人にとって1000円は貴重なので気に入らない点があるとクレームを言ったりします。購入する時点でもお金がないと1000円でも色々店員にあれこれ聞いて買わないということもあります。でもお金持ちは1時間悩むなら5分働けば稼げる額だし、とりあえず買ってみようとなりやすいので面倒なことになることって少ないんですよね。そういう意味でまずは自分自身が溢れるばかりの水を持つようになったら慈善活動に特化するのもいいと思います。慈善活動は全くやらないのではなくたまにコミュニティセンターのイベントの手伝いなどもしたりはしています。そのあたりも自分がやりたくないのに毎回参加するよりはやりたいと思ったときに参加して社会の手助けをする方がいいかなと思う方です」
多弁になってしまいますと相手に考える時間を与えちゃうので幸福度を自分軸で考えるか他人軸で考えるかは自分でも何を言ってるか分からなくなりました笑
客観的に見ると 利己的に物事を考えてるよりも他者を幸せにしようとするという考えの方が聞こえが良いので私の考えは賛同されにくいかも知れません。
他者への貢献というのが家庭教師で満たされているのでそこまでの欲がなかったのかなと今思います。